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「ポスト・トゥルース時代のトーフビーツ(仮)」──tofubeats × 若林恵 トークイベントレポート【前編】

「ポスト・トゥルース」は人に預けられないテーマ

若林:僕はメジャーデビューのちょっと前にトーフくんと知り合ったので、実際には、それほど古いファンでもなくて。もちろんそれ以前の作品も聴いてはいるんですが、やっぱりイメージとしては、ウェルメイドに、ま、ある意味器用にいろんな音楽トレンドを差配するようなプロデューサー的な側面が際立っているように見えてたんですよね。

廣田:今、プロデューサーとしてのトーフさんという話が出ましたが、今回のアルバムでは、曲に対するスタンスなど、これまでの作品と意識して変えようとしたことはあるんですか?

トーフ:ファーストとセカンドも、同じように見えて自分の中では違うことをやっているつもりでした。だって、毎回同じことをやってもつまらないじゃないですか。同じことをやっていたら同じことを期待されちゃいますしね。「アレみたいな曲を作って」って。そうするとどんどん自分を縮小再生産することになっちゃうので。

今回のアルバムに関して言えば、「自分で歌う」ということと「立って歌う」ということが明確に変わった点ですね。今までは全部座りながら歌っていたんですけど、今回は全曲立って歌ってます。

若林:えっ。今まで全部座ってたの? さっき話した「声が張ってる感」は、立って歌ったから?

トーフ:そうかもしれないですね。若林さんがライナーノーツでも書かれていましたけど、僕はやっぱり、パソコンとインターネットがあって、テクノロジーの恩恵を受けて育ってきたんですよ。「誰でも音楽が作れるぞ、これが俺の待っていた世の中だ」といった気持ちを持ちながら夢中で曲を作って、気が付いたらプロになっていた。

ウェルメイドな質の高い作品を作りたいという気持ちがある一方で、誰でも音楽が作れるような環境になって幸せだなという大きな矛盾を抱えてきたんです。ウェルメイドなものは練習や技術に裏打ちされた「熟練性」のことじゃないですか。でも、それは誰もが手にすることはできない。オープンな技術に対して、こうした矛盾を抱えながらやっていくなかで、インターネットを含めてこうした技術のウェイトや意味合いが自分の中で変わってきたんですよね。例えば、オートチューン(※3)は使うけど、音痴を直してもらうためにテクノロジーを使うわけではなくて自分のボーカルをより良くするために使いたくなってきたというか。技術への接し方を変えることで、自分でできるもののクオリティを上げていく、熟練性をより上げていくように変えていくべきはないかと思ったんです。

F6_tofu_008
若林:なんでそう思ったんですか?

トーフ:今回のアルバムのテーマが「ポスト・トゥルース」に決まったとき、「これを人に歌わせるのは卑怯だな」と思ったんです。これまでも自分が歌う曲はありましたけど、今回の場合は明らかに「人に預けられないテーマ」だなと。自分で歌うしかない。自分が請け負うしかないテーマだなと思いました。「このコンセプトでアルバムを作ったらどうなるんだろう、自分でも見たこと無いな」とも感じましたし。

若林:ちなみに、立って歌うことにした理由はなんなんですか?

トーフ:色々オシャレな理由を言えと言われれば言えるんですけど、ぶっちゃけると、実はただノイマン(NEUMANN)というメーカーの良いマイクを買ったからなんです(笑)。これまでは1〜2万くらいの安いマイクを使っていたんですが、それはまさしくインターネット的思想で、誰でも使える安価な技術で作ってしまおうという発想で使っていたといいますか。でも、ある時突然いいマイクが欲しくなってしまって、ノイマンを買って自分の声を録ってみたんですね。そしたら、声のノリがむちゃくちゃ悪かったんですよ。

何故って性能のいいマイクは、良くないものを正確に良くないものとして録ってくれるんです(笑)。別にギャグでもなんでもなく、人のボーカルを録っているからこそ分かるんですけど、もうオートチューンかけても下手なのがバレバレっていうくらい良く録れる。自分のボーカルがいかにダメかに気づいて、一度心が折れかけたほどで。で、この話をレコーディングエンジニアのIllicit Tsuboi(※4)さんに言ったら「何を言ってんの。そこで高いマイクと向き合ってこそじゃない」と言われたんですよね。でもそれって当たり前のことじゃないですか。自分もプロデュースしているアイドルには絶対そう言いますからね。それからマイクと真剣に向き合うようになったんです。

若林:Tsuboiさん、素晴らしいですね……それで立って歌うことにしたと。

トーフ:腹から声を出したり、発声練習をしたり。下手くそなりに、一生懸命やってみようと思ったんです。その成果が分かるようにアルバムの1曲目は声だけで始まる曲(CHANT#1)にしていて。


※3:オートチューン…ボーカルの音程のズレを補正する音楽ソフト。設定を極端にすることで「ケロ声」と言われる独特のエフェクトがかかるため、2000年前後からダンスミュージックを中心に広く用いられるようになった。日本ではtofubeatsのほか、中田ヤスタカの楽曲などでも頻繁に聴くことができる。

※4:Illicit Tsuboi(イリシット・ツボイ)…日本を代表するロック/HIP HOP系サウンド・エンジニア。DJやサウンドクリエイターとしての活動、またA.K.I. PRODUCTIONSやキエるマキュウへの参加でも知られる。

インターネットの恩恵を受けてきたからこそ、「ポスト・トゥルース」をテーマに

廣田:話は戻りますが、今回のアルバムのテーマである「ポスト・トゥルース」に行き着いたきっかけは何かあったんでしょうか?

トーフ:BBCのニュースを見ているときに、この言葉を知ったのがきっかけですね。

廣田:「ポスト・トゥルース」の問題って、主にジャーナリズムとかメディアの人たちがテーマとして語ってきたものだと思うんですが、なぜ、アーティストであるトーフさんが、これをテーマにしようと考えられたんでしょうか? 何かインスパイアされるものがあったんですか?

トーフ:「ポスト・トゥルース」という概念自体が、インターネットから出てきたものですよね。インターネットというもののメリットを享受しながら育ってきた自分だからこそ、この問題にどう対応するか考えるべきだろうなと。自分だけではなく、聴いてくれる人も興味を持ってくれるのではないかと思いましたし。

廣田:アルバム2曲目に収録された「SHOPPINGMALL」のなかに、「とくに 話す相手はいない」という歌詞がありますね。


tofubeats – SHOPPINGMALL (LYRIC VIDEO)
トーフ:これは分かる人と分からない人がいる話かもしれないんですが、最近、インターネットの移り変わりを感じるというか、本当にネットがすべての人に行き渡りつつあることを感じるんです。それと同時に、自分たちが最初にインターネットに触れていたころと文化が変わってしまった気がするんですね。インターネットが広がりすぎてしまった。この感覚を言い表す言葉がなかったんですが、「ポスト・トゥルース」という言葉が出てきて、「これこれ」ってなったんです。

若林:「ポスト・トゥルース」はやはりメディアの人間からすると重大な問題で。その問題をメディアの立場からつらつら思うに、「文化が変わってしまった」っていうのは、おそらくトーフくんが音楽を作り始めた頃はインターネットが単に人と人が繋がる場所だったのが、いつの間にやら完全な経済空間になってしまったってことなんだろうって気がするんです。例えばYouTubeも気づけば、Googleさまの巨大な広告プラットフォームなわけで、これはFacebookも同じ。

ele-kingのインタビューで、トーフくんが「ポスト・トゥルースとはすなわち「僕らのインターネット」が終わったということだ」とトーフくんは言ってましたけど、「僕らのものだと思っていたら、いつのまにか電通仕切りになっていた」みたいな(笑)。というのは冗談ですけど、要は単なるお金儲けのドライバーになってしまったという感じはあって、ポスト・トゥルース的な状況を広告ビジネスが拍車をかけてしまったというのは間違いないと思うんです。ってか、FacebookもGoogleも、結局広告モデルしか収益のモデルを思いつけなかったのって、やっぱダサかったんですよ。

廣田:元々はマーケティング用語だった「KPI(重要業績評価指標)」という言葉は、今ではすっかり一般化しているものですが、こうした数値目標を達成することが経済的に合理的であるという空気が支配的になっていくと、とにかく記事内容の価値を議論するよりも「バズらせる」という数値目標を達成することが至上命題になってしまいます。SNSで、自らの承認願望を満たしたいがために「シェアさせていただきます」とかなんとか言って、喜んで投稿しているのを目にすると、シェアされればされるほど、PV数が増えれば増えるほど、内容がきちんと伝わっていないような気さえしてきますね。

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トーフ:嘘の記事を書いてPVで稼いでいるメディアも多いですよね。最近見かけたのは、「tofubeatsはDJで主に80年代の曲をかけている」といったことが書かれたりしていて(笑)。でもこうしたことって何もネットに限った話じゃないですよね。「みんな本当にこれ良いと思っているの?」みたいなことは、昔から脈々とあるわけじゃないですか。

若林:ちょっとどうでもいい話なんですけど、こないだ「ポスト・トゥルース」ってこういうことか、と思った出来事があったんです。先日、某大手映画館に行ったんですよ。で、売店で「ピーチジュレソーダ」ってのがあったから買ってみたんです。ぼくこの手の新奇な飲料って好きなんですよ(笑)。好きなんですが、これ一口飲んだだけど、もう、圧倒的にマズい(笑)。で、半分冗談で、売店に行って「これクソまずいから、お金返してくんない?」って言ったら、いまどきのつるんとした若い店員が、「それは、ちょっと(苦笑)」って。そこまではいいんです。で、「これ飲んだ?不味くない?」って聞いたら、まず返って来た答えが「ぼくは好きですけどね」だったわけ(笑)。

一同:(笑)

若林:ね、これですでに「ポスト・トゥルース」ぽいでしょ。お前の基準で、このまずさが正当化されてたまるか、っていう。で、「君が味オンチなんじゃない?」って返したら、「いや、結構売れてるんですよ」って言うわけ(笑)! このロジックですよ。売れてりゃなんでも正当化されるのかよ、という。

廣田:若林さんの体験よりも、嘘のニーズの方が偉い、ということですかね(笑)

若林:売れてるのは事実だと思うんですよ。でも、「おれは好き」「売れてます」のふたつをもって、主観的にも、客観的にも支持されてます、以上。ってなると、なんか居心地悪いんですよ。少なくとも、メディアの仕事って、このふたつの基軸だけでは決して成り立たない仕事だと思ってるので、この論法は、とにかく腑に落ちないんですよね。

去年WIRED.jpに上げた記事のなかで、個人的に一番良かったと思っているのは、実はトーフくんのインタビュー記事なんです。このなかでトーフくんが「『つくる』のと『売る』のはかなり別物だという想いは、強くあります」と言っていて、すごくハッとしたんですね。つまり、「ポスト・トゥルース」的な発想って、結局は「売るための論理」を果てしなく拡張し続けた先にあるものだって思ったんです。

90年代の後半にぼくが勤めてた弱小寄りの中堅人文出版社の編集の現場にも「これからはマーケティングの時代だ」なんて声が聞こえて来たんです。その頃ちょうどグローバルスタンダードなんて言葉が盛んに語られるようになって、MBAを出たコンサルタントたちの存在感が増して、グローバリズムとセットで「売る論理」がひたすら優勢になっていくような情勢があったように思うんです。作ったモノでの差異化ができなくなってきて、猫も杓子もマーケティング理論やらを拝借して売り方の差異化を求める原理に移行していくという流れは、バブルに向かうあたりから始まったものだと思うんですが、それが2000年前後を境に極端に肥大化して、それがすなわちビジネスそのものである、というようになっていったんじゃないかって気がするんです。

ビジネスモデル屋みたいなのがのさばるようになったのと、土建屋的発想のネットビジネス界隈がイヤな形でくっついて、以後のネットを埋め尽くしていくようになっていったという感じがして、そのプロセスのなかで「モノを作る」側の論理が完全に置き去りにされてしまったように見えます。