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「本当は、本じゃなくてもいい」ブック・ディレクター 幅 允孝さんに聞く、「本」の価値とは。【後編】

紙の本が好きだ。本の匂いがする書店が好きだ。そう言ったら、本をぜんぜん読まないという友人に問われた。「本の何がそんなにいいんですか?本じゃないといけないことって何なんですか?」すぐに答えられなかった。本の価値って何だろう?本じゃなきゃ、伝えられないことって何なんだろう?

メディアが多様化する中、深刻な出版不況だと言われている。本を読む人は減っている。雑誌の廃刊が続いている。地方の書店が次々に潰れている…。本はもはや、滅びゆくメディアなのか?

「本屋に人が来ないなら、こちらから会いに行こう」そんな思いから、本と人の出会いをプロデュースする仕事を始めたBACH代表の幅允孝(はばよしたか)さん。「ブルックリンパーラー」や、「TSUTAYA TOKYO ROPPONGI」「H.I.S.旅と本と珈琲と」など、様々な場所で本と人の新しい出会いの場を創ってきた幅さんに、「本」というメディアでしか提供できない価値とは何か?「本を読む」という行為はどういう意味を持っているのか?など本を巡る様々な疑問をぶつけてみた。本をこよなく愛する幅さんから返ってきたのは、意外とも思える言葉だった。

Interview by Masaki Tanaka | Photos by Naomi Circus

2016.10.13[Thu]

楽しく健やかに生きられるなら、本じゃなくてもいい。

:最近は本だけじゃなくて、ゲームの脚本がとにかく面白くて、めちゃくちゃゲームをやっているんですよ。FF1からやってて(笑)

きっかけは、2年くらい前に、菊名にある高木学園女子高等学校という私立の女子校のライブラリーを冊子にしたいという話があって、そこで本棚をつくる仕事をしたこと。基本、僕らは自分たちが好きな本を持って行っても、お節介にしかならないと思っていて、まず相手にインタビューをするんです。「図書委員」「まあまあ本を借りる」「ふつう」「ほとんど使わない」「本嫌い」それぞれのカテゴリーの人をランダムに各学年で抽出してもらったんです。その上で、スーツケースでたくさん本を持って行って、大きなテーブルにわーっと広げて見せながら、こういう本があってね、と説明しながら話を聞いていく。高木学園は最近やったそういうインタビューでは最もアウェー感が強かったというか、最も本を読まない子が多かったんですよ。例えば、5人×3学年で15人中、村上春樹を読んだことがある人は一人。よしもとばななを知っている人が15人中0人と、面白いくらい話が通じないな!という感じで「やるな最近の若者は!」みたいな(笑)。

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でも僕も年齢とともにMっ気が上がっているので、「そこまで読まねえか!オッケーオッケー、いいんじゃない!?」と。僕は自転車が好きなので、自転車の本を持って行ったら、『弱虫ペダル』というアニメにものすごくハマっている女の子が一人いて、そこからアニメの話になった。そうしたら『Fate』っていうゲーム原作のアニメがあって、それにとにかくハマってるという人が何人かいて。村上春樹を読んでいる人が1人しかいないのに、『Fate』を見ている子は5人くらいいる。「なにそれ流行ってるの?」って聞いたら、めちゃくちゃ流行っている、と。魔術師がサーヴァントを召喚して、そのサーヴァント同士が聖杯を巡って戦うという、今スマホでヒットしてるゲームらしいんですけど、僕はぜんぜん知らないわと思って。ちなみに『Fate』は、ゲーム原作なんですが、コミカライズやノベライズもしていて、そのノベライズの『Fate/Zero』というのが生徒たちの間では評価が高い。虚淵玄さんという『魔法少女まどか☆マギカ』だったり『仮面ライダー鎧武』の脚本をやっていた人が小説を書いていて、それがすごく面白いんです!と。みんなそういう小説は読んでいるんですね。「本屋なのに『Fate/Zero』を読んでいないのはおかしいと思います!」と逆に怒られて。悔しいからすぐ取り寄せて読んでみたらとても面白くて、そのあと、アニメも見てみたんですが、アニメも実に面白い。『Fate/stay night』というのと『Fate/stay night UNLIMITED BLADE WORKS』を見ました。

そして、ついにゲームの世界に立ち入ってしまったわけです。このゲーム『Fate/stay night[Realta Nua]』は何がすごいって、基本は読書なんですよ。昔のゲームなので、モーショングラフィックのようなものは殆どなくて、Aを選ぶかBを選ぶかという中でやっていくシミュレーションゲーム。主人公たちの立ち絵が何十枚もあって、それがパラパラと変わりながら、ひたすら30時間くらいテレビに出てくるテキストを読んでいく。もちろん音とかはあるんですけれども、それをずっと読んでいくという行為は、結局、本と変わりないなと思って。たぶん物語を自分に注入したい欲というのは今も昔も変わらなくて、それをデリバリーしてくれるのが本だけじゃなくて色んなところで増えてきたから、単純に本との接点が減っているだけなんですよね。重要なのは読んで、そこに描かれている物語に心を動かされることだから、ぜんぜん良いんじゃない?と思って。僕も、やっていることは読書と一緒だと思いながら、最初は軽い気持ちでやり始めたら、止まらなくなってしまって。『Fate/stay night』『Fate/stay night UNLIMITED BLADE WORKS』『Fate/stay night Heaven’s Feel』と、三部作あるんですが、一昨年の正月に一気に全部やりました。しかも最後ちょっと泣いた(笑)。

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実は奈須きのこさんという脚本の方が最初にそのゲームのシナリオを書かれていて、「天才だ!」と僕は思ったんですね。調べてみると『ゲームの流儀』という、いわゆる伝説的なクリエイター達のインタビューを集めた本があって、奈須きのこさんの他にも、『高機動幻想ガンパレード・マーチ』の芝村裕吏さんとか、『俺の屍を越えてゆけ』の桝田省治さんとか、『MOTHER』をつくった糸井重里さんとかの話が載っている。そのインタビューを見ると、奈須さんが「自分がすごく影響を受けたのは日本のミステリにおける新本格のムーブメントだ」と言っている。新本格って、綾辻行人さんの『十角館の殺人』から始まるんですけど、そう聞くと確かにわかる気がする。菊地秀行さんの『吸血鬼ハンターD』にすごく影響を受けたとも言っている。

生徒たちは『Fate』を見て、アニメイトにいって、筆箱を買ったり下敷きを買ったりして、そこで終わってしまうんですけど、もうちょっと長く生きている僕らとしては、実は『Fate』ってこういう人がつくっていて、この人はインタビューでこういうことを言っていて、この人はこういう本に影響を受けたと言っているから読んでみたら? というようなレコメンデーションができる。僕らはよく結節点といっているんですけれども、興味がないもの、関係がないと思っていたものと関係を結んで貰えるような機会をつくることが自分のやっている仕事だなと思いますね。僕も女子高生に『Fate』を教えてもらって、すっかりゲームの面白さにハマっているわけなので、こっちも教えるけれど教えても頂いているというか、いい感じの等価交換をさせてもらってるな、と。

田中:興味の結節点をつくることが、幅さんがやられていることの本質なんですね。さっきアンテナという話があったと思うんですけれども、幅さんの中には、やはり感覚を研ぎ澄ませて好きなものを探すというような、意識的にアンテナを張っている、という感覚はありますか?

:どうなんでしょうね。そんなにアンテナを張っているという意識はないんですよね。SNSも自分ではまったくやらないし、Facebook、instagram、twitterもやってない。あ、twitterでアーセナルの情報だけは見ています。正直、それ以外はやる必要も感じてない。最近はFacebookで結婚の案内とかしちゃうから、「あ、お前いつの間に結婚してたの?」みたいなことは多々ありますけど。自分の本当に欲しいものを見つけるには、本屋さんに行くとか、本を読むとか、人に会うのが一番なんですよね。自分の中でぐっと刺さる情報を得るという意味では。そんなにアンテナを張っているつもりはないけれど、自分が楽しく健やかに生きていくために、必要な情報は得られているという自信はあって、僕は一番重要なのはそこだと思っています。楽しく健やかに生きていくために本が使えるなと思っているから本なだけで、ゲームが使えるなと思ったらゲームをやるし、他のものでもいいんです。インスタが使えるなと思ったらそうすべきだと思います。

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読書は、優雅な暇つぶし。

田中:楽しく健やかに生きて行くための情報を得ることができれば、手段は本でなくてもいい、自分が使えると思うメディアやコンテンツでいい、ということでしょうか。

:そうですね。ただ、コンテンツを読み込む癖みたいなことは大事ですよね。何かの本歌取りじゃないけれど、このコンテンツってこういう影響下のもとでできているんだという、そういう背景がどうでもいいという人が案外多いらしくて。そこを掘るとめちゃくちゃおもしろいんだけどって個人的には思いますけどね。

田中:アンテナの話で言うと、街を歩いていてこの店いい感じだな、と思っても、入る前に、食べログで調べたりしますよね。自分のアンテナを信じきれない、というか。

:そこがダメなんですよ。やっぱり「失敗したくない病」みたいなものに世の中は苛まれすぎだと思う。何をもっての失敗かですよね。

田中:めちゃくちゃまずかったっていうのも話のネタになりますしね。

:最高じゃないですか、それはそれで。僕は本に関しても失敗とか成功とかあんまりなくて、面白いところを見つけようと思えば充分面白く読めるので、それで良いんじゃないかなと思う。1000円の本を2時間かけて読んだら、1000円と2時間分のゲインを得なきゃいけないという脅迫観念に苛まれている人が多過ぎる気がしますね。僕は本来、本なんてめちゃくちゃ優雅な暇つぶしだと思っているので、楽しいから読むでぜんぜんいいと思うし、本の力って、そもそも即効性よりは遅効性なんですよね。あとでじわじわと効いてくる。いつ効いてくるかわからない種まきのようなもの。だから、あまり期待し過ぎない方がいいと思いますね。これを読んだらこういう回答が聞けるとか、人生が救われるというのは本に期待し過ぎている。一方で、世の中の本の広告もそういうことを煽り過ぎている問題もあると思いますが。本来、本はそんな過度な期待を抱いて手に取るものというよりは、面白そうだからめくるということだったり、考えるための材料だったりするものだと思う。

田中:「この本はこれが得られるものです」という提示があって、「それが得られたかどうか」が評価される。そういう空気はありますよね。読んだ時に、読んだ人の数だけ「問いと答え」があってもいいんじゃないかなとは思います。

:今は、ドラッガーの『マネジメント』を自分に注入する、みたいな感じが多い。『攻殻機動隊』にあるような、ヘリコプターの操縦方法を首にケーブルを繋いで、ぴゅっと注入して「今ダウンロードしたからもう操縦できます!」みたいな感じを本に求めすぎていると思う。本来は、ヘリコプターの乗り方の本があったとしたら、なぜこれは飛ぶんだろうとか、よくわからんなとか、ANAはヘリコプターからスタートしたんだな、というような余計な情報をグネグネと回りながらヘリコプターを知っていく過程、その時間が喜びであるべきだと思います。草薙素子は、今ヘリコプターを運転できないと死ぬみたいな状態だから、スピード重視は仕方ないんですけど(笑)、あれは読書じゃない。あれを読書だという方向に本の広告がいってしまっているのが問題なんじゃないかな? 技術や知識をダウンロードすることと、読書本来の喜びとはわけて考えた方がいいし、今、その辺りがごっちゃになっているのは、大問題だと思います。

本は人みたいなものだと思っているんですよ。死んでしまった人には会えないけれども、未だに夏目漱石の作品を読めば夏目漱石に会えるし、その本を書いた頃の夏目漱石に会える。実は僕は本よりも人の方が好きなんです。飲みに行ってワイワイガヤガヤ話したりする感じと、本を読んでわやかやと考えたりする感じとは、あまり変わらない。一晩しっぽりとお酒を飲みながら、誰かの話を聞くのと、一晩しっぽりとお酒を飲みながら、誰かの書いた本を読んでふむふむと思う感じって、そんなに変わらないと思うんですよね。本を読むという行為を崇高なところに持っていき過ぎない方がいいと思う。

先ほどから、本は優雅な暇つぶしということをあえて言っているのは、それくらい日常のひとつの行動の選択肢として、例えばシャワー浴びるとかご飯を食べるとか、人と会って話をするということと同じくらいに考えて、本と会って話を聞く、というような感じがいいと思います。人と会うのと違うのは、聞きたいことを聞けないというところですね。向こうが一方的に話す。でもその聞けないというのが逆に次の読書の疑問を生み出す推進力にはなっているとは思うんですけどね。僕は書くのは大嫌いなんですけれども、読むのはストレスがないです。自分でも、ゲームのシナリオを読んでいて楽しい自分がいるというのは驚きで、本当はなんでもいいんでしょうね。たまにパンフレットとかを読んでいて面白いときがあるんですよ。日本語がすごく片言で、よくわからない髭剃りの翻訳を読んでいても、それはそれで面白いですし。どんな人が四苦八苦しながら書いたのか、妄想してみたり。本を読んでいるとまるで賢いみたいなのがよくないんですよね。

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状況を相対化する「物語の力」

:本なんてそもそもそんなに清らかなものばかりではないというか、そうとう危ないところもある。危険でいかがわしいこともたくさん書いてあるし、そういう危うさも僕は魅力だと思っています。今年の頭にベッキーが不倫だなんだとニュースで大盛り上がりしていましたけれども、あんなのはめちゃくちゃかわいい方で、小説の世界だともっと危険な恋が、いっぱいあるわけですよね。例えば島尾敏雄の『死の棘』って小説があるんですけど、そこには、たぶん小説史上最強の夫婦断絶が描かれているんですね。浮気をした旦那が、ひたすら奥さんに謝りまくるんですけれども、奥さんは不倫のショックでだんだん狂っていく。狂っていく嫁に向かってとにかく謝り倒すという、壮絶な夫婦ケンカで、最後には旦那まで狂っていく。サイコスリラーですよね。

あとは『荒地の恋』とかも。ねじめ正一さんが『荒地の恋』という本で、かつて実在した「荒地の一派」という詩人たちについて書いてらっしゃるんですが、その中で田村隆一さんという素晴らしい、いつも酒ばかり飲んでいる酔いどれ詩人がいて、その奥さんを別の詩人が奪ったりする。そんなことが平気で繰り返されていて、そういうのを読んでいると耐性がつくというか、そういうことも世の中あるんだろうなって思うんですよね。果たして、よい耐性かどうかはまったく保証できませんが。ともあれ自分の中にそういう物語がいくつかあると、ものすごい不条理に出くわしても状況を相対化できる。

角田光代さんの『八日目の蝉』は、不倫相手の赤ちゃんを誘拐しちゃう話ですよね。あれを来るべき大不倫に向けて読んでおこうと思って読んでいる人は絶対にいないけど、まさか自分はそんなことしないなと思っていたのに、なぜかそうなっちゃったとして、「うわー」ってなったときに、いろんな物語を注入しておくと、あのときの主人公は赤ちゃんを盗みにいっていたなとか、あの主人公はこうだったなとか、誰かの物語によって、自分を相対化できる。想像力が働くと思うんですよね。こういうことをしたらこの人はこういうことを思うかもしれないとか。それが備わっているからといって、何かが究極的に解決するかといったら絶対に解決はしないんですけれども、でも何かが自分の中に湧きだす。少し寄り添える感情があることによって、多少はダメージを軽減できるというか、なんとか前を向けるようなモチベーションが抱けるかもしれない。そういうことはあると思いますね。

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田中:そういえば、村上春樹さんの『1Q84』は、圧倒的なシステムの抑圧みたいなことに対して、本を読んでいることが一種のワクチンになって作用していく、という話だったと思うんですが、あの本も、ある意味、物語の力についての話だったのかなと。

:相対化させる誰かの感情とか、その辺りのパワーだと思うんですけれどね。物語は基本、嘘じゃないですか。村上春樹さんもそれこそ自分の仕事は嘘つきな職業でしてみたいなことを言ったりもしてる。でも嘘ではあるんですけれども、あそこまで魂をぶつけた精巧な嘘だと、見事にそのペースに巻き込まれて、ぐあんぐあん感情を揺さぶられる。単純に、ジェットコースターに乗って色んな感情の浮き沈みを味わうという、エンターテイメントとしての側面は間違いなくあると思うんですよ。でもそれ以上に、どこか自分に似ている人を探したり、自分に似ていない隣の誰かに似ている人を探したり、何かの物語を自分の人生や周辺にいる人たちと結びつけて、少しずつ自分に関係ある物語を形作れるところがあると思いますけどね。それは著者のあずかり知らぬところで、読み手が作り上げるもので、この人って昔のあの男に似ているとか、この人ってうちのおかんにそっくりだとか、そうやって物語の誰かの感情や人柄を自分の物語に結びつけながら、だんだん自分の中で、愛おしいストーリーになっていく。村上さんみたいな読者が多い小説とは何かというと、自分が結びつけやすいキャラクターなのか、シチュエーションなのか、感情みたいなものが共感という意味でたくさん点在している物語なのかなという気がしますけれどね。

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これからの「野望」について

田中:最後に、これからの野望があれば聞かせて下さい。

:楽しく美味しいものを食べて、美味しいお酒を飲んで、死んでいきたいですね(笑)

田中:それ最高ですね(笑)

:それにつきます。仕事の話で言うと、僕の仕事は基本、待ちなんですよ。ご依頼があって応えるという意味では、建築に近い。営業とかしないんですね、まったく。それはなぜかというと、本来要らないところに無理やり本を置いても意味がないんですよね。なんかここに本を置きたいなとか、ここにライブラリーがあったら素敵だなとか、本屋さん作りたいなとか、そういう希求には、僕らは100%答えますけれども、無理やり作っても、僕らがそこにずっと立っていられるわけでもないし、結局その場所にその本があって欲しいという熱がないと、できた時が100%になってしまうんですよ。やっぱり本来は、本屋さんにしろライブラリーにしろ、オープンした後に読み手がきて、そういう人たちといろいろと議論しながら、そこに本当に必要な本棚をアジャストしていくというのがベストだと思ってるんですね。まあ、だから地道に待っていますという感じですね。あとやっぱり、最近本がいろんな場所に置かれるようになっているんですが、ちょっとインテリアの枠を出ていないものが多いというか、置かれていても乱雑な感じになってしまっている。そもそも僕は本屋さんで働いていたんですけれど人が来てくれないから、じゃあ人がいる場所に持って行こうという感じで12年前に、この仕事をスタートさせたんですね。そして色んなところに本が出ていくようになりましたと。そこで今度は一冊一冊を丁寧に差し出すような場所が増えるといいなと思ってるんですね。これからは少なくとも置いたあとに、より脇をしめて、丁寧に一冊の本をひとりの読者に届けることがしたいなと思っています。



大切なのは「本」というメディアではなく、そこに込められている物語の力、コンテンツの力。だからこそ「本」というメディアだけにこだわらず、身体性を通じて、ひとつひとつのコンテンツを丁寧に届けていきたい。そんな幅さんの話を伺っているうちに、気づいたことがある。それは、主体は飽くまでも自分にあるということ。手段として、本が自分に合うなら本でいいし、マンガやゲームがしっくりくるなら、それでいい。いろんなメディアを組み合わせてもいい。大事なことは、豊かな情報の海を、どれだけ自由に泳ぎまわれるか。そのためにはアンテナの感度と、情報を読み込む筋力と、結節点を次々と越えていく好奇心が必要だ。豊穣な世界に向かってどれだけ主体的に飛び込んでいけるか。その先にこそ、楽しく健やかな人生が待っている。

  • 幅允孝(はば・よしたか)
  • 1976年生まれ。青山ブックセンター六本木店、建築・デザイン書の担当を経て、(株)ジェイ・アイに入社。石川次郎に編集を学ぶ。2005年に独立し、選書集団BACH(バッハ)を設立。選書、編集、執筆、企画、ディストリビューションなど、本をツールに幅広い分野で活動中。
  • MASAKI TANAKA
  • Copywriter / / dentsu
  • 1999年電通入社。関西支社にて、コピーライター/CMプランナーとして、コミュニケーション戦略立案とクリエーティブ制作に従事。現在、本社未来創造室を兼務。紙の本と本屋をこよなく愛しています。