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「本当は、本じゃなくてもいい」ブック・ディレクター 幅 允孝さんに聞く、「本」の価値とは。【前編】

紙の本が好きだ。本の匂いがする書店が好きだ。そう言ったら、本をぜんぜん読まないという友人に問われた。「本の何がそんなにいいんですか?本じゃないといけないことって何なんですか?」すぐに答えられなかった。本の価値って何だろう?本じゃなきゃ、伝えられないことって何なんだろう?

メディアが多様化する中、深刻な出版不況だと言われている。本を読む人は減っている。雑誌の廃刊が続いている。地方の書店が次々に潰れている…。本はもはや、滅びゆくメディアなのか?

「本屋に人が来ないなら、こちらから会いに行こう」そんな思いから、本と人の出会いをプロデュースする仕事を始めたBACH代表の幅允孝(はばよしたか)さん。「ブルックリンパーラー」や、「TSUTAYA TOKYO ROPPONGI 」「H.I.S.旅と本と珈琲と」など、様々な場所で本と人の新しい出会いの場を創ってきた幅さんに、「本」というメディアでしか提供できない価値とは何か?「本を読む」という行為はどういう意味を持っているのか?など本を巡る様々な疑問をぶつけてみた。本をこよなく愛する幅さんから返ってきたのは、意外とも思える言葉だった。

Interview by Masaki Tanaka | Photos by Naomi Circus

2016.10.06[Thu]

田中: 今、本を読まない人が増えていて、たいへんな出版不況だと言われていますが、同僚や友達としゃべっていても、一切、本を読まないという人が結構いるんです。そういう人たちに「本って何がいいんですか?」って言われると、なかなか明快に言葉にできなくて。

本じゃないとダメなことって何だろう、本というメディアの入れ替え不可能性って何だろう、と。

:実は、僕は本じゃないといけないとあまり思っていないというか、それはそれで偏っているからあまり好きじゃないんですが、「本は、責任の所在がはっきりしている」というのはすごくありますよね。そのタイトルがあって著者があって、発行年月日が書いてあって、その人がこの日付で責任を持ってこういう情報を出しているというところは、本の一番強いところだと思います。

インターネット上の情報って、例えば子育てで赤ちゃんが壁に頭をぶつけてしまってどうしようという時に、ネットで探すと「それはなんとかの兆候だ」っていう人もいれば、「それは気にしないでください」という人もいる。いろんな人がいろんなことを言うけれど、責任の所在が曖昧ですよね。本は発言者が明快で、責任の所在がはっきりしている。例えば岩波書店から出ている『育育児典』を読むと、この人がこう言ってる、ということがはっきりわかる。情報が多ければ多いほど、顔が見えている人のことを信頼する世の中になってきている中で、発言者の顔が見えているというのは大きいと思います。

あとは書き直せないというのも本のいいところで、ネットだとちょっと違うと思ったら、翌日訂正したり書き直したりが可能ですけど、紙の本の場合は書き直しを本当にしようと思ったら、改訂して、印刷し直して、とんでもなく大変じゃないですか。だから2016年の7月14日に発行年月日になっていたら、その校了日に全力で全部詰め込もうとする。その日言えるベストみたいなところをそこに詰め込む。その奇妙な熱というか、怨念というかそういうのは本ならではの価値としてあるんじゃないかなという気はします。

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田中:書き直せないからこそ、質を極限まで高めようという力が生まれる、ということですね。責任の所在の話でいうと、ネット上でも「食べログ」から「Retty」へ、という流れがあって、ここにも責任の所在がはっきりする情報へとシフトする流れがあると思うのですが、その辺りはどう思われますか。

:正直、ネットの点数を気にして店を探していくのは野暮だと思いますよ。もっと自分のアンテナを研ぎ澄まさないと。ふらっと歩いていて、本当に面白い雑貨屋とかうまい焼き鳥屋とかは直感が研ぎ澄まされていたら気づくはずです。「ここ何か匂うだろ」って。僕は本選びもそれに近いものだと思っていて、やっぱりネットじゃなくて本屋さんに行くんです。結局行くのが一番早い。なるべく近所の大きい書店に、腹六分目くらいで、トイレ済ませて行く。気分はハンティング。なんかないかなーと思ってふらふらっと。探していた本をそのまま見つける時もありますが、探していない本が目に止まって、なんだろう?と手に取る時もある。全然関係のない本を手に取るって、身体を運んで本屋さんに行くことの、ひとつのメリットだと思うんです。検索だと知っているものにしかでくわさない。Amazonの「この本を買っている人はこれも買っています」というのは、数値の積み重ねでしかないわけで、自分の身体全体で知らない本に出くわすことができるという意味では、本屋空間の優位性があると個人的には思います。

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答えがでない状態こそ、楽しい。

:全然思ってもみない本に出くわすとは、どういうことかというと、自分の無意識みたいなものが浮き上がってくることでもあって、楽しいんですよね。自分がやっている本屋さんには自分の知っている本ばかりだから行かないんですが、そうじゃない本屋さんに行くと、基本知らないものだらけじゃないですか。「これも知らない、あれも知らない」と。知らないということは、実はすごく楽しいこと。読書も、読んで何かわかったような気になる一方で、同時によりわからなくなったり、読んで答えよりは疑問がたくさん出てくる方が絶対に楽しいと思うんです。「なんかわかった!」と思うんだけれど、よく考えると増々わからなくなる。答えが出ない状態って、本来は僕は楽しいことだと思っているんですよ。考え続けることは楽しいことだと思う。逆に答えが必要な人って、答えが出ない状態に耐えられないんですよね。今の世の中、多くの人が目の前のひとつの答えを求めていて、この本を読んだら5キロ痩せます系の本が多いですよね。僕は、それはそれで否定はしませんが、一つわかった後に、新たな疑問をつくることができるかどうかということが、本というメディアとより面白く付き合っていくためのキーになっていくのかなという気がしています。

田中:答えが出ない状態に耐えられない、というのはネットの普及によって生まれている傾向かもしれませんね。

:SNSも含めてネット上で得る情報と、本を読んで得る情報の差異、つまり「こういう時はこっちからで、こういう時はこっちから」という使い分けをうまくアナウンスしていかないと良くないのかなという気もします。

本の種類とネットの種類にもよりますが、例えばtwitterで、僕の愛するサッカーチーム、アーセナルの選手の移籍を巡るニュースを見ているときは、読み込むというよりはフローしているものの間をずーっと流れていく感じですよね。気になったものを少しだけ読んでみたりする。書籍で読むべきものって、ニュースではないですよね。同じアーセナルについてでも、今どういう選手が必要で、経営状態はどうで、世の中のフットボールビジネスがどう動いていて、という情報を手にいれる。基本的にはニュースのような一次情報ではなくて、それをいくつか組み合わせて編みあげられた二次情報を読み込んで、自分なりのアイデアをつくっていくという感じ。最終的には自分の中の考え方や心持ちを形作るツールとして捉えているところが、とても大きいです。まあ、ただの1ファンとしてアーセナルの移籍市場には介入できないわけなのですが…。

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「本を読む」という行為の「身体性」

田中:話は変わりますが、幅さんの書かれたものを読んだり、お話を伺っていると、「身体性」みたいなことがよく出てくるように思うのですが、その辺りで意識されていることはありますか?

:身体は暫く僕のテーマですね。どれだけネットが今、世界の情報を網羅しているといっても、僕の場合は腰痛の身体をえっちらおっちら運んでどこかにいくっていうのはあまり変わらない。そういう意味では、基本的に紙束であれ、kindleのようなeペーパーであれ、あくまでも道具だと思っていて、主体は人間だと思っているんですね。人間が主体としてそれを読んで楽しみ、色んなことを感じて、学びながら疑問を呈していく。そう考えると身体性というものは抜きにできないと思うんです。熱があるときや、風邪引いたときに知らない本を読もうとは思わないじゃないですか。少なくとも僕が仕事でやっているのは、検索型の世の中において知らない本を手にとってもらうような機会を、いろんな場所に点在させたいということなんですが、そういう時に、結局身体の調子がよくないと、精神的な余裕もないし、新しい手を伸ばそうと思わないと思います。僕たちは選書するだけじゃなくて差し出し方みたいなものを、ものすごく工夫して考えてやっているんですが、差し出し方を考える時に、身体が気持ちいい状態をどうやって作って、どうやってリラックスさせてあげるのかというのはすごく重要だと思っています。

例えば毎年ゴールデンウィークにやっているPARK LIBRARYも、東京ミッドタウンの芝生広場でやっているんですが、本棚があるわけじゃなくて、ピクニックバスケットを50個準備して、その中に本が3冊と敷物が入っているんですね。そしてバスケットに例えば「こんなところに行きたいな」という名札がついている。中にはナショナルジオグラフィックの『いつかは行きたい 一生に一度だけの旅BEST500』なんかが入っている。そういうイベントをやると、本好きの人はもちろん、そうじゃない人も借りていってくれて、それはなぜかというと、ピクニック楽しそうだし、敷物がタダで借りられるからだったりする。おっちゃんが一人で借りて行って、敷物を広げるじゃないですか。で、まず何をするかというと、本を三隅において、四つ目の角にバスケットを置いて場所を確保して、近くにある「ワールド ハイボール ミッドパーク カフェ」に行って、ハイボールやソーセージ&チョリソ盛り合わせなどを買って来たりする。そしてハイボールを飲んで大爆睡する人もいれば、うつらうつらと気持ちがよさそうな人もいる。身体が気持ちいいんですよね。5月の陽光もいいし、ミッドタウンの芝生はよく整えられているのでいい匂いがするし、お腹もいっぱい。ちょっとお酒も入って、奥さんと子供は買い物中。それだけ気持ちがよかったら何をするかといったら、目の前の重しにしている本をパラパラとめくりながら見たりするんですよね。

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あるおっちゃんは本当に名札を見ずに借りて行ったんですが、「森ガール」というバスケットを借りてらっしゃって、蒼井優さんの写真集をパラパラとみて、「最近この子、よう出とるな、かわええな」とか「本開いたのは3〜4年ぶりだな」とかおっしゃっていたんです。本に関わる仕事をする人間としては、4年も本を開かない人がいるんだ、という驚きもある一方で、それだけ身体的に気持ちがいい状況だと、4年ぶりに本が開いてもらえるんだ、というのを目撃するわけですよね。1日にバスケットが8回転するから、50個×8回転で1200回、一応、誰かが知らない本を手に取る機会はつくれているわけで、売上云々とは別の側面で、知らない本や知らないことを面白いと思ってもらっていることに意味がある。

僕は読んだ本の内容を面白いと思ってもらわなくても構わなくて、自分の知らなかったことがあるのが面白いと思ってもらえればいいんです。だからそれはeペーパーでもいい。重要なのはひとつの言葉や文章の情報がちゃんとその人の中にささって、日々の生活に作用するというか、そっちの方が重要だと思うんですよ。今晩のレシピを思いついたとか、明日の朝早く起きる気になったとか。本を読んでそれでオッケー、みたいには全く思っていなくて、ささやかでも何らかの情報がその人に刺さって、日々の生活のどこかの側面を一ミリでも上にあげるような状況ができれば、僕はそれを提供するのがぶっちゃけ本じゃなくてもいいと思っています。

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田中:幅さんは、人間の身体とコンテンツを結びつける、その間に関係性を生み出すことに興味があるということですよね。それができれば、メディアは本じゃなくてもいい、と。ただ、例えばPCだとここまで豊かな関係性は結べないんじゃないでしょうか。

:それは間違いなくて、PC上の表紙画像や書誌情報を用いて「この詩人のこの詩を読むと、めっちゃ面白いよ」みたいなことを伝えるのは、なかなか難しい。本の方が身体性を介して相手の人に「ここを読んでみて」と付箋つけて渡せるからスピーディーですよね。あと最近思うのは、世の中の出版業界にいる人たちは、本を読ませようと躍起なところが問題で、本を読ませることよりも本の中にある情報が、普通に生きている人にとって役立つものなのだ、という手応えを読者に抱いてもらうことが重要だと思う。とりあえず一冊読ませようとか買わせようとか、そういう話になってしまっているから、うまくいっていないんじゃないかなという気がしますね。

最近僕は料理レシピの読み比べにはまっていて、世の中には色んな料理家がいますけど、例えば一口に肉じゃがと言っても、色んな人が色んな肉じゃがの作り方を紹介しているわけです。それで、小林家はだし汁が限りなく少なくて焦げ目がつく肉じゃがをあえてよしとしていたりして、多種多様な感じがとても面白いんです。その感じは、本をツールとして読んでいく感じでないとわからない。そのバリエーションが僕はいいところだと思うんですよね。本来、肉じゃがに正解なんてなくて、食べる人にとって美味しければいいわけで。

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そういえば、レシピって昔は写真がなかったんですよ。ずっとテキストだけ。例えばシェパニーズだけをやっていらっしゃるアリス・ウォータースという、70年代からオーガニックフードの運動を支えている有名な人がいるんですが、『アート オブ シンプルフード』という彼女の代表作は、写真がなくてひたすら文字なんです。で、細かいんですよ。オムレツ一個作るのに、卵をどうかき混ぜるかとか、フライパンの上で卵の色がこんなレモン色からこう変わったとき、今です!みたいな感じで、となりで細かいばあちゃんに、とやかく言われているような感じ。最近のレシピはまず写真があるじゃないですか。これが100点満点と言われている写真に、近づけよう近づけようという作業になってしまうのと、自分の中で考えて考えてオムレツを作ろうというのは随分違う気がしますよね。100点が決まっていて、それに近づける現代のレシピって、極めてプラトン的なレシピになるわけですよね。昔のレシピはハイデガー的というか、100点がない中で、自分でひたすら積み上げていくというか、その辺りの違いはあると思います。

田中
プラトン的なオムレツと、ハイデガー的オムレツの違い(笑)

:そういえばプラトンのような、昔の偉い哲学者の本って、難しそうと思われがちですけれども、読むと本当に面白くって、今のレシピの話も、木田元さんの『反哲学入門』を読みながら、ごはんを食べていたときに急に閃いたことです。つまり、色んな本が人間を介してどこまでもつながるんですよね。昔興味がなかったことが、本を数珠つなぎで読んでいくうちに楽しくなっている状況はいいなと思いますね。僕は文系人間で、昔、数学は、いやでいやでしょうがなかったんですが、「数学は情緒である」という言葉で有名な数学者の岡潔さんと小林秀雄さんとの対談集『人間の建設』を読んだらすごく面白くて。超理系人間と超文系人間が戦うのかと思いきや、一周まわって二人とも同じことを言っている。それを読んで数学もいいんじゃないかと思って、だんだんだんだん数学や物理の本を読むようになったんですね。森田真生さんの『数学する身体』なんて、最高にスリリングな読書でした。人間の興味って年齢を重ねてもその気になったら意外と広がるなと僕は本と付き合っててすごく思うんです。

  • 幅允孝(はば・よしたか)
  • 1976年生まれ。青山ブックセンター六本木店、建築・デザイン書の担当を経て、(株)ジェイ・アイに入社。石川次郎に編集を学ぶ。2005年に独立し、選書集団BACH(バッハ)を設立。選書、編集、執筆、企画、ディストリビューションなど、本をツールに幅広い分野で活動中。
  • MASAKI TANAKA
  • Copywriter / / dentsu
  • 1999年電通入社。関西支社にて、コピーライター/CMプランナーとして、コミュニケーション戦略立案とクリエーティブ制作に従事。現在、本社未来創造室を兼務。紙の本と本屋をこよなく愛しています。