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人口規模は杉並区 + 世田谷区。小国エストニアがイノベーションを生み出せる理由。

WIREDがつくる新しいビジネスツアー、「WIRED REAL WORLD」。その第一弾、人口130万人の小国ながら、世界随一の最先端デジタル国家として世界から注目を浴びるエストニアを巡る「エストニア ラジカル・イノヴェイションの旅(Radical Innovation Tour in Estonia)」が2016年に開催された。エストニアはSkypeが生まれた国としても知られ、テクノロジーに強みを持つスタートアップ文化も盛んである。今回は、ツアーエディターを務めたラウル・アルキヴィ氏にインタビューを行った。
エストニアと日本、両国に精通するラウル氏は流暢な日本語でインタビューに答えてくれた。ラウル氏はエストニアの経済通信省で公務員として働いたあと、日本に来日しクラフトビールの輸出を行うというユニークな経歴の持ち主だ。エストニアの先進性や日本との違いを伺う中で、日本が抱える課題も浮き彫りになっていった。

Interview by Yuki Shintani | Edit by Ryoh Hasegawa | Photos by Naomi Circus, Yuki Shintani

2017.02.17[Fri]

経済通信省の公務員から、日本のクラフトビール輸出を始めるまで

— まずはじめに、ラウルさんが日本にいらっしゃるまでの経緯について教えてください。

ラウル:一番はじめは日本への1年間の交換留学。そこで日本のことが大好きになり、一度エストニアに戻って大学を卒業してから、再び日本の大学院に入りました。卒業後はエストニアで経済通信省に入り、政治家が政策を決議するまでの準備段階の仕事を2007年から2012年まで行っていて、特にアントレプレナーシップ政策、企業の国際化、海外からの投資を集める政策などを担当していました。日本に住んでいた経験もあったため、僕からプッシュしてアジア政策も進めていましたね。


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— ラウルさんは今おいくつなんですか?

ラウル:37歳になります。政府にいた当時の部署の平均年齢は30代。エストニアでは、若い人たちにどんどん任せよう、という雰囲気があります。それもあってか、公務員は皆若い。30歳を過ぎたら、次におもしろいことをするために転職する人も多いです。

— そんなに若い人たちが国を動かしているんですね……。Latitude59で講演されていた政府の方もかなり若い方でした。逆に若くない方はどうなっているかが気になります。日本では高齢化が進行していますが、エストニアでも高齢化はあるのでしょうか?

ラウル:高齢化していますよ。50歳を超えても普通に働いていますし、政治家や起業家にもすごい人はいます。実際、今一番エストニア国内で成功している企業は、今50代の人が始めた企業です。ただ、25年前にソ連から再独立したときに年齢の壁は無くなってしまったんです。再独立したときの総理大臣は30代でした。エストニア国内で強いビジネスを作っているのが40〜50代なのに対し、グローバルで活躍しているのはもっと若い世代、という分け方ができるかもしれません。


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Latitude59で登壇するスタートアップ
— そもそも、なぜラウルさんは政府の仕事を始めたんですか?

ラウル:日本の大学院を卒業後エストニアのタリン大学でリサーチャーの仕事をしつつ、将来について考えていました。元々映像をつくるのが好きだったのもあって、友人と一緒にテレビCMの制作会社を立ち上げようかと。一方で大学ではアジアの開発モデルを研究してきたので、その経験を生かしたい気持ちもあった。結果的にエストニア経済通信省の経済開発部で採用が決まったので、そちらに決めました。

— 公務員の仕事を辞められて、2012年からは何をやられていたんですか?

ラウル:日本に戻って、エストニアとのビジネスのコンサルタント・コーディネーターをやっています。また、2013年には日本のクラフトビールを輸出する商売も始めました。逆に今日はイベント用にエストニアのクラフトビールを持ってきていますが(笑)。

— ここで唐突にクラフトビールが出てきますね(笑)。なぜコンサルタントだったラウルさんがご自身でクラフトビールの事業を始められたのでしょうか?


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エストニアのスタートアップ、SORI BREWINGのクラフトビールを持参。
ラウル:エストニアではちょうどその頃、「クラフトビール革命」が始まったんです。クラフトビールがかなり人気になっていて、友達がショップをオープンしたりしていました。そのとき友人に、「日本からクラフトビールを持ってきてよ」と言われるようになったんです。最初は笑って聞き流していたのですが、少し調べてみると、たしかにヨーロッパでは日本のビールが全く売られていないことに気がつきました。
ちょうど日本に来てからもクラフトビールを飲み始めていて、日本で人気があるクラフトビール工場のヤッホーブルーイングのことを知ったんです。長野県の佐久市というところに醸造所があるのですが、偶然にもエストニアで一番人気のあるビールの名前は「サク・ビール」。エストニアにもサク市(エストニア語: Saku vald)があって、日本の佐久市と姉妹都市だというんです。
「縁があるならやらなきゃ」と。ヤッホーブルーイングにも許可をもらって、ヨーロッパから実験的に販売を始めました。結果、現在では10数カ国で販売されています。今ではヤッホー以外でもベアードビール、コエドビール、常陸野ネストを扱っていますよ。経済通信省のときはエストニアがアジアにとってヨーロッパの窓口になるように、と思って仕事を進めていましたが、今では自分自身がプレーヤーとしてそのときの政策を実践している感じです。

— エストニアと日本を橋渡しが経歴の中心になっているんですね。ラウルさんがそもそも日本を好きになったきっかけは何なんですか?

ラウル:なんでしょうかね…。他のエストニア人にとっても、日本に来るたび何かしらの魅力、フックがあると思うんです。はまったら抜けられない、といいますか。そのフックが日本の文化にあると思うのですが、なかなか言葉にはできませんね。交換留学で一年間滞在したときにはエストニア人として日本を意識して楽しんでいる、という立場でしたが、今となっては国境のラインが分からなくなるほど溶け込みました。


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(次ページ エストニアを“利用してほしい”、その真意とは)