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そもそもメディアは誰のものなのか?編集者が担うものに必要なこと【後編】

そもそもメディアは、これからの社会の中で、どういう役割を担っていくのか?、目の前の市場環境の激変に目を奪われてしまって、「そもそもメディアとは」という、一番肝心な議論がどうも抜けているようにも思う。そもそもメディアは社会にとってどういう価値があるのか?

世界中のもっとも新しい情報を提供し、もっとも洗練されたデザインとクオリティを持っているメディアの一つである『WIRED』日本版の若林編集長に、「そもそものメディアの役割」についてお聞きしてみた。

Interview by Shusaku Hirota | Photos by Jun Matarai

2015.12.24[Thu]

高度情報消費社会の問題

廣田:いま、話題のアメリカのシンギュラリティ大学の人たちが提唱しているような指数関数的な成長モデルって、ビジネスや、文化、その国の歴史的背景のことをじっくり落ち着いて考え抜く、ということをあまりやっていない気がします。もちろん、破壊的イノベーションを起こして、世界を変える、というのは素晴らしいことなんですが、一方で、それに感化された若い人たちが、とにかく早く、若いうちに成功したいという病にかかっているとも感じます。「意識高い系」という、一部の若者を揶揄した言葉がありますが、彼らは、若いうちに成功しないと、もう駄目だという、切羽詰まった焦りを持っていますよね。でも、その焦りこそが、揶揄される所以だと思います。今日の話は、そういう「生き急いだ」世界観と逆行する発想だなと思います。

若林:要するに、間というものがないんだと思うんです。つまり、スタートアップブームだ、というとみんなが起業家を目指すわけじゃないですか。でも、世の中、そんなに起業家いらないですよね(笑)。だし、誰しもが、そんなに優れたアイデアを思いつくかと言ったら、そんなわけないじゃないですか。それに、思い立ったらビジネスできるなんてそんなお手軽にビジネスできるわけないですし(笑)。でも、経理とか法務とか広報とか、優れた起業家を支える仕事っていくらでもあるわけですよね。そういう役立ち方って、人にはあるんだと思うんです。そういう話が、なんとなくすっぽり抜け落ちて、「オレにもできるかも!」と思わせるのってちょっとした罪だと思います。「みんな、落ち着け」(笑)って思っちゃいますね。ぼくらのメディアは、どっちかというと、そうやって「誰でもできる」ってことを謳ってるように思われてると思うんですが、そんなことはないんです。むしろ、ぼくらは「よく考えろ」ってことを言ってるつもりなんです。

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これって、ぼくは「情報」にまつわる問題だと思っていて、情報によって自分の価値が設定される時代っていうのを、ぼくらは結構長いこと生きてきたんだという気がするんですね。

たとえば、雑誌が売れなくなっていることについて、ネットが出てきたから雑誌が食われたという話がありますが、ぼくの考えではそれって嘘なんです。ネット以前、70年代くらいに「ぴあ」やリクルートが出てくるんですが、おそらく転機はそこからはじまっているんです。つまり、 あらゆるものが情報化されていくプロセスが日本社会全体で起こったんじゃないかと。この時、あるゆる情報が、消費に直接結びついたんですね。これはとても重要な変化で、あらゆる情報がすべて消費にひもづけられてしまい、80年代や90年代に、それが飛躍的に発展する形となったわけですが、 高度情報消費社会においては、「ぴあ」によるカタログ化された文化情報に価値が生まれ、それを消費することによって、リクルートが労働市場で自分を高く売ることを可能にしてくれる、というサイクルが生まれたんじゃないかと思うんです。その過程で、全ての情報も、自分の価値も「消費情報」になっていったんではないか、と。

で、その後に、ネットが出てきたんですが、ネットはカタログ的情報を扱いやすいので、現在の形になっているわけです。つまり、載せる情報をすべて消費情報という単位に還元してしまったのが日本のメディアだったように思うんです。

本来、商品の写真を載せる際には、値段なんて載せない方が良いのですが。今や値札ばかりの紙面になってしまった。そこには文脈がなく、とにかく消費に紐付いた情報しかなくなってしまっている。アメリカの雑誌なんかはあんまり値段載せないんです。でも、そうやってメディアの情報と消費は結びつかないという構造を、日本のメディアは壊してしまった。消費にひもづくことだけが「情報」というものの価値にしてしまったんですね。ネットでいうところのアフィリエイトになっていったわけですが、アフィリエイトなんて言葉がある前から雑誌は自らアフィリエイトになっていったようなものです。それはもちろん当時需要があったからなんですが、未だにそれを延々とやっているんですね。ですから、読者の側も、すべてを消費情報として受け取ってしまうわけです。「おれは情報を消費していない」という人だって「自己投資」とか言って消費をするわけです。それって結局同じことなんですよね。「情報」で自家中毒起きしてるんですよ。でも、インプットした情報に対して、アウトプットが必要だって多くの人が、実は思っているんですよね。それって90年代あたりの消費サイクルの延長でしかなくって、そういうものとして「情報」を扱ってても苦しいだけなんですよ。面白いな、とか大事な話だな、と思うことは、ただ大事に取っておいて、自分が何かを考えるときの糧にすればいいだけの話なんです。アメリカのニューヨーカーなんて、消費情報ゼロですよ。それにならって、『WIRED』日本版も、ほぼ消費情報ゼロにしています。

廣田:だから読んでいて、気持ちいいんだと感じるんですね。