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そもそもメディアは誰のものなのか?編集者が担うものに必要なこと【前編】

スローな時間軸で考えることの価値

若林:ちょっと前に、金井美恵子さんの『日々の 目白雑録』という雑記を読んだんです。この本で金井先生は、3.11の起きた後に、日本の文学者がどんな発言したかを逐一調べて、それに徹底的にダメ出しするということを延々とやっているんです。その間、金井さんはおそらくそのためには一歩も家を出ていなくて、ただ新聞やらをひたすら読んでいるだけなんです。けれど、その一定期間、文学者の言葉の背後にどんな社会が蠢いているか、つまりは3.11と日本の社会というものについて執拗に考え続けているんです。 いま、震災にまつわる言説を通して日本人が何を考えようとしているか?ということを深く読みこんでいるわけです。

ぼくは、これは大変な仕事だな、と思ったんです。 ここまでの執拗さをもって情報を読みこんでいくことって、普段、多くの人はやっぱりできないんです。ぼくもできません。そう考えると、ぼくたちが忙しくて考えきれていないものを、金井先生は、変な言い方なんですが、代わりに考えてくれてるんだって思ったんですよね。先生ご自身がそう思っているとは思いませんが、少なくともぼくは、それはとてもありがたい、大事な仕事だ、と思ったんです。で、そうしたことには、きちんと金払ってあげようぜ、と思うんですよね。

村上春樹の『職業としての小説家』も、最近読み始めたのですが、この本も冒頭に小説家はスローな仕事であるということが書かれています。 頭のいい人が10分で言えそうなことを、小説家は、何年もかけてひとつの作品として語る。これは、まったく違う時間軸で現実を生きるということですし、違う時間軸でものごとを見るということでもあると思います。 そうした営為の価値は計り知れないものだと、ぼくは思ってます。

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廣田:いま、一番激しく動いている世界の最先端の情報を紹介している『WIRED』の編集長から、こういう話を伺えるのは、むちゃくちゃ意外です。いまの技術イノベーションの世界はどこか生き急いでいるように感じませんか?

若林:時代が猛スピードで動いていて、ものごとの価値もどんどん変わっていっている、というのは本当だろうと思います。けれども、変わらないことだったり、技術が進むことで退化していることもおそらくはあって。そういうことは、時代と同じ時間のなかにいるときっと見えてこないんだろうと思います。

次の『WIRED』は、言葉の特集です。作家のカズオ・イシグロさんや、円城塔さんにインタビューしています。これがとても面白い。円城さんからは、アドビがいかに日本語をダメにしているか、なんて話が出てきます。本来あった日本の印刷の仕組みがいかに合理的だったかと。彼が雨月物語の翻訳をやった時に、 原文を探して読んだが、それは木版でできていたらしいんですね。で、江戸時代の活字の仕組みが優れていたことがわかったと仰るんですが、それと較べると、ぼくらがいま使っている、アドビのシステムは、日本語を使うという意味においては明らかな退化だ、と円城さんは言うんですね。で、どうやったもっと日本語を自由にできるんだろうか、って、そんなことを日がな考えているらしいんですね。すごくないですか?(笑)。

カズオ・イシグロさんの話も面白いんです。彼の小説では、つねに記憶というものがテーマとして扱われていて、これまでは個人の記憶がテーマだったのですが、最新刊の『忘れられた巨人』では、国や社会の記憶がテーマとなっています。社会がいかに「何を覚え、何を忘れるかを決定するのか?」というのが作品のテーマで、彼は、このテーマを書くために、あえて4-5世紀のイギリスを舞台にしています。ここで、彼は文章を、あえて古語のような文体で書いているんです。僕は、この本を英語で読みはじめたのですが、読んでいても最初、なかなか文意がわからない。聞けば、古語の感じを出すために、普通のセンテンスから、あえて数語割愛したらしいんです。ですから、実に読みにくい。けれど、彼は10年かけて、この一つの世界を作り上げているわけです。彼はこの10年にわたって、国家とか社会の成り立ちについて考えていて、しかも、それが現代におけるあらゆる国家や社会が抱える問題につながっているんです。10年かけて、現代世界を、ひとつの物語のなかに収斂させよう、って、これは大変なことです。

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「未来」という言葉の意味

廣田:すごいすね。僕はカズオイシグロの新作、あまりにぼやっとしていて、途中で挫折してしまったんですが……。

若林:ぼやっとしているところにも意味があるんですよ(笑)。「過去に何かが起きた。でも、それを思い出すべきなのかどうか」がテーマなので、もやっとしてないとおかしいんです(笑)。ところで、ピーターティールが「未来」を定義してこんなことを言っています。


“未来とは、まだ訪れていないすべての瞬間だ。でも、未来がなぜ特別で大切なのかといえば、それが「まだ訪れていない」からではなく、その時に「世界が今と違う姿になっている」からだ。”

(p23 「ゼロ・トゥ・ワン」)

つまり、彼の定義によれば、「未来」は、今と違っていることが価値なんです。今と変わらないのであれば、それはただの「現状の延長」でしかなくて、その「未来」に価値はない。と考えると、「未来」の価値が「今と違う」ことにあるのなら、未来というのは「あり得たかもしれない今」だ、ということなのかなとぼくは思うんです。本当はあったかもしれない、可能性としてあったかもしれない。 みんなが当たり前だと思っているけど、明らかに違うものってのを見出すこと。つまりオルタナティブな「現在」を考えることなんだと思うんですが、これは、言うほど簡単なことじゃないです。

いま、みんなが生きているあたりまえを疑うということですから、そのあたりまえのなかにいては、それはできません。おそらく小説家という人たちがやっているのは、そういう仕事で、それは、いまのあたりまえの時間軸の中にいてはやれないんだと思います。メディア、特に雑誌の仕事なんかは、小説家と較べると、ぐっと「今の時間」のなかにあるとは思いますが、それでも、今、みんなには見えてないものを見せるということは、ミッションとしてはあるんだろうと思います。という意味では、視点をいかに今のみんなと違うところに置いておくかということはとても大事で、ある意味、浮世離れしていることが価値だったりするんです。日本の社会は、とはいえ、きわめて同調圧が強い社会なので、気づかないうちに「あたりまえ」に呑まれてしまうことが多い。けれど、メディアというものの価値があるとすれば、それを少しでもズラすところにあるんだと思うんです。企業は、どうしたってビジネスの時間軸から離れることがなかなかできないわけですが、オウンドメディアをやるって言うなら、まずは、その時間軸から離れないとやる意味ないじゃん、ってぼくは思います。

廣田:なるほど。けど、暇人というか、みんなとは違う視点をもってぶらぶらしている人って、いないと困ることありますよね。